日々界隈、あるいはぼくらの/プテラノドン
たとえば真夜中に、テーブルの上で
作りかけのパズルを再開する老人のように、
未完成であることだけが唯一の完成形であると
―仮定できないだろうか?
オーディオから流れている夜想曲を。
棚を埋めつくす写真立てあいだをたゆたうジャズが、
鎮魂歌に聞こえなくもないと。
そんなことよりも、未完であることでぼくらは
立ち止まらずに繰り返せるのだと。そうして、
輝ける垂れ幕となって降りてくる、善意ある日々を
揺らすのは風ではなく笑い声なのだと…うんぬんは
この際抜きにして、超現実的な言葉でぼくらが口にする
「天気がいいね。」とか「もう秋だね。」と、
言うだけ野暮だと口にしないにしても、
本気で想える相手がいることを、幸運だと。
これまでや、これからを
代わりばんこにぼくらが話せることを。
パートチェンジも分けないさ。
ささいなことだから。
5分とかからないかもね。
互いのことを思えば。
でもきっと、そうかもね、そのとおりだよ。
正しさなんて分らないよ。
間違いじゃないにせよ。
仮定しようじゃないか。
笑い合う僕らを。
笑い合った、
その後で。
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