近代詩再読 村野四郎/岡部淳太郎
 
ったのではないだろうか。
 村野四郎の詩を読んでいくと、「乾いた抒情」と「孤独感」というふたつの大きな柱が見えてくるような気がする。恐らく『体操詩集』の頃の彼は、詩壇でも異端の存在だったのではないだろうか。その乾いた抒情はあまりにも時代を先取りしすぎていたし、天皇崇拝をバックボーンにひたすら戦争へと突き進んでいく時代の中で、その無神論的とも言える孤独感の表明は、頼りないものであるがゆえに逆に現代的であった(余談だが、この詩人には「無神論」という表題の作品もある。それは「村野四郎には神がないと/ぼくの詩の友はいったが」という二行で始まっている)。だが、それゆえに、この詩人は戦後の混乱した時代になっ
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