未詩ということ/黒川排除 (oldsoup)
がりはもちろん、時には日本語として通じる最低限の構成さえ踏みにじらなければ、未詩という中にはぐくんだ気まぐれな態度を読者に見せつけることはできない、とは言わないまでも、保証できない。
最後になるが、ぼく自身は、未詩というカテゴリーに否定的な観念を持つ者のひとりではない。要するに今、自己弁護に走っている訳だが。未詩を投稿する者に余計な圧力を与えようとか、未詩の成り立ちをちょんぎってやろうとか、今想定される非難の声を必死に数えているが、そういう訳では断じてない。ぼくが未詩をひとつも投稿していないのは、それに値する作品を単に書けてないだけだし、ぼくは詩の発展とともに未詩の発展も願っているひとりで、できることなら自らの懐疑的観念とともに未詩に関する言語上の否定的なイメージを取り除きたい、と考えたまでなのだ。よって、こう位置付けたい。未詩とは、言語という形式のもとで完全な形を求められぬ挫折に対して詩人が考え出した新しい接触方法である、と。
※それでも不快に思った人がいるなら、ごめんなさい。いつまでも意気地のないoldsoupでございました。
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