雨期と雨のある記憶/カワグチタケシ
な雨粒がケーブルカーのタイヤを濡らしている。
砂浜に降る雨を見ていた。雨期の明ける前。ひとかげまばらなビーチの灰白色の砂を、大粒の雨が黒く染めていく。雨に音はない。波の音だけが、変に遠くに聞こえている。波のうえにも雨が降っている。波のなかにいる生き物たちも雨を感じることがあるのだろうか。沖の彼方で雲が切れて、ごく細い陽が海に差し込んでいる。
人の手の届かないところにある光。人の手の届かぬ先に飛ぶ灯りを追いかけて。森に分け入る。小さな水の流れに沿って。かすかな雨が降っている。光を運ぶもの。点滅する蛍。きれぎれのかすれた光。流れから飛び立ち。水滴にとまる灯り。すべての光が音をたてずに。存在している。やがて夜が更けて。虫たちは死に近づく。
雨が好き。それがいろんな口実になるから。と、彼女は小さな声で笑う。僕はその声が好きだと思う。好きだと思ってから、彼女の意味を、彼女の口実を探し当て、時間をかけて拾い集める。停滞性の低気圧が列島を蓋っている。ここはアジア。亜熱帯だよ。僕は彼女に言う。そして、その手を握って雨の中へ歩き出す。
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