恐ろしい日曜日/冒険野郎マクガイヤー
景を走馬灯としてみるのではなかろうか。「良い思い出」として、頭に浮かぶのではあるまいか。そう考えると、なんだか恐ろしくなってきた。
走馬灯が大仰すぎるとしたら、こういうのはどうだろうか。病院のベッドか自宅の布団かわからないが、病に伏せった自分は今日のこの情景を、若かりし健康な日々の素敵な記憶として思い出すのだ。そして、二度と取り戻せない昔年の思い出に涙するのだ。脇に立つのはすっかり老いさらばえた我が娘だ。嗚呼、恐ろしい。
そして娘の横にいるのは、やはり娘の子供だ。すなわち自分の孫だ。そこまで妄想すると、恐ろしさの底が抜ける。恐ろしさの得体が知れなくなる。
だが、人が生きるということは、得体の知れない恐ろしさの連続かもしれないなあと、またふと思った
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