近代詩再読 立原道造/岡部淳太郎
に微笑ましささえ覚えてくるから不思議だ。第二連の「(僕はおまへを愛してゐたのに)/(おまへは僕を愛してゐたのに)」を最終連で「(しかしおまへはもう僕を愛してゐない/僕はもうおまへを愛してゐない)」と引っ繰り返しているところなど、あまりにも見え見えであざとい手法に思えるのだが、何故か微笑ましい。また、第一連四行目の「だまつて」と「黙つて」など、同じ言葉なのに平仮名だったり漢字だったりで徹底していなかったり、第一連二行目で「蜘蛛」を出しておきながら第三連一行目で同音の「雲」を出したり、普通ならこういうのは避けるはずなのだが、それがごく当たり前のように詩行の中に存在しているということに不思議な思いがする
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