遠い声/塔野夏子
 
白い春の夕暮れ
浅い眩暈が意識を通過する
柔らかな距離がゆるやかに傾き
西に沈む誰かの声 遠い声

傍らの抽斗の中で
淡い儀式の記憶が疼く
それはやはりある春の夕暮れの
古い棟のうらさびれた一室
窓の外には白い花をつけた枝が揺れていた
その樹の名をいまだ知らない

また浅い眩暈が意識を通過する
柔らかな距離がゆるやかに傾きながら
含羞のように仄かに色づく

西に沈む誰かの声 遠い声

白い花から雫れ落ちた花粉を
そっと挟んだプレパラート
そのプレパラートを静かに持ち上げた長い指

淡い儀式の記憶は疼く
あの樹の名も
いちど告げられ そしてそのあと
忘れてしまったのかもしれない

含羞のように仄かに色づいた距離は
西に沈む誰かの声を包みながら
なおも柔らかに傾きやまず

(抽斗をひらかないのは なぜ)

また浅い眩暈が通過する
意識のおもてに
微かに花粉の痕跡をのこして






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