消費と熟練工(加筆訂正)/佐々宝砂
で素早く確実に持続的に大量生産できる詩の職人……詩の熟練工になりたい。私は本当にそういうものにあこがれる。心の底からあこがれる。しかし、現時点の私は、詩の世界においても、現実の生産現場においても、まだまだ経験の浅い未熟な工員に過ぎないのだ。残念なことに。
と、シメて終わりにすりゃかっこいいのだが、もひとつ付け加えておけば、私が考えるような意味での「消費される詩」は、おそらく、決して賞賛されるようなものではない。まず絶対教科書には載らない。ものすごく大きくまかり間違わないとH氏賞も中也賞もとらない。読んだひとが「共感しました」と言ってくれることもない。「おもしろかったー」「こわかったー」「きしょくわりー」「へんー」と言われてオシマイで、あとになんにも残らないよーな儚い詩、二流マンガ家のマンガのような詩、消費されて忘れ去られてゆくような詩を、今の私は書きたいのだ。
(早朝勤務の翌日が夜勤の予定なので、意地でも起きていないといけない夜のつれづれに。しかし、もう朝なので寝ま〜す)
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