批評とは何か(ツギハギ)/ポロリ
 
自説を主張できたときである。つまり、科学を動かす「モーター」は、確証となる事実でもなければ、捏造でもなく、説得であるということだ。不一致が生じた場合、「論者はそれぞれ、説得によって、相手を転向させなければならない」。そして一方がそれに成功した場合も、その結果を検証するさらに高次の裁判所は存在しない――「関係者全員の承認よりも高次な基準はない」。「それ以上の基準など」とクーンは問う、「ありえようか」と。

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【結語】
 以上みてきたように、批評の困難性はうなぎのぼりである。しかし、同時にわかることは、重要な点が今も昔も異ならないということである。
 三島由紀夫がポール・ヴァレリーを褒め称えているように、重要なことは、批評の対象と、その論理的展開である。すなわち、評者が、「なにを意図」して、「どう語る」のか、が重要なのである。
 ヴァレリーがフランス文化の終焉を語ったように。
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