恋愛詩の可能性/岡部淳太郎
 
駆使すること。時には汚い言葉を使うことを恐れないこと。おおよそ以上のようなことがある程度は必要だと思われる。特に感情の抑制という部分は大事だろう。それと、讃美のための讃美をしないこと。恋愛対象に対する安易な讃美は、詩を詩から遠ざけるばかりで、当人たち以外にはほとんど価値の感じられない、単なる私的な恋文になってしまう恐れがあるだろう。歯の浮くような台詞をいくら並べ立てられても、読む方はただしらけるばかりだ。もちろん、ここで書き連ねたような「現代詩」的な手法以外に恋愛詩を「詩」たらしめる何かがあるのかもしれないし、その可能性を捨て去る必要もないだろう。



(二〇〇六年二月)
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