キャラメルと価値と詩について/馬場 こういち
、そのとき私には思えたのです。
「もしも、世界の通貨がキャラメルになったら、
みんなキャラメルを追い求めて、
キャラメルを必死に守り、
遺産キャラメル相続のときにもめて、
キャラメルを嫌いになったりするんだろうか?」
と、あれこれ考えながら、寮の部屋に着いて、
「現実、寮費の支払いが一ルーブル足りなくなったら、
『くそ、あのキャラメルのせいだ!』って思うのかな?」
「ある日、預金通帳が『キャラメル何万個』って表示されてたらやっぱりイヤだなあ」
と、考えたりもしました。
一ルーブルの代わりにキャラメルを差しだすように、いろいろな(苦しいし辛すぎる)日常から日常以上の価値を生み出す作業が、詩の創作なのかな、と思いました。
いま私は、一つの言葉が持つ意味以上の価値を生み出せるような詩を書きたい。
あのときのキャラメルみたいな詩を書きたい。
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