オリジナリティの範囲---片岡直子さんをダシにして/藤原 実
品であるに相違なく、それほどまでに平凡な事実を何故にわざわざ独創を生命とする芸術に表現しなければならないのだろうか。
だから、どの場合でも、芸術の立場からいえば、個性は表現の材料でもなく、主体でもない。君が僕でないというだけの目じるしにすぎない。個性は文芸の戸籍台帳であるにすぎない。芸術の材料は個性を遥かに越えて、およそ人間の経験に入り得るもののすべてである。だから、それは現実と可能の両世界をふくむ極大の世界である。芸術の創造主体はもちろん一個人の精神作用なのだが、エリオットのアナロジーを借りていえば、酸素と二酸化硫黄とを媒介する一本のプラチナの線条である。あれどもなきがごとき極微の世界
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