くるしうこそ/佐々宝砂
に「普通の川柳」なんて古くさいものを引っ張り出したりしてしまったのは、「私は普通の川柳も書けますよん」という自己顕示欲の結果だ。いやだいやだ。といいつつ、しかし削除はしないのだった。それどころか「普通の詩なんてラクチンさ、普通の川柳も普通の俳句も簡単さ、けっ」と挑発してしまったりするのである(いやホントのことを言えば、「普通の詩」はもしかしてラクチンかもしれないが、「普通の俳句」は決してラクチンではないと思ってます)。
私はまだ、開き直りようが足りない。まだ隠している。まだ恥じている。私はいったい何を恥じているか? あなたにはわからないかもしれないが、ともかく私にはわかっている。実に実に触りたくないが、触ることになるだろう。どだい昔から、マイナー怪奇作家の末路などふたつしかない。
整然と狂えたらランボーにでもなれるかもしれないが、私は凡人だ。私は凡庸な人まね小猿だ。そのことを私は悲しまない。でも誰かわかってくれないもんかしらと思いはする、だって私は凡庸な一個人なんだから。
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