愛が潰えた日に男は自画像を描く/恋月 ぴの
 
髭 確かに男は涙を流していた 潰えた愛の儚さに涙を流しながら イーゼルの傍らの木箱より使い慣れた木炭を手にすると無造作に描く 鏡の向こう側にいる男の顔を 此方を情けない顔で見つめてくる男の顔を


  フィクサチーフを軽く吹き付ける イエローオーカーと交叉する木炭の囁き 亜麻仁油の嗅ぎ慣れた匂い 鏡の向こう側の男をF6号のカンバスに油絵具で閉じ込め ふと窓の外を見やると 晴れ渡った空と澄んだ冷たい空気の向こう側に立ちすくむ男の姿に気付く 月光に射貫かれた眠れぬ夜に膝を抱え泣き腫らした男 潰えた愛の儚さに涙を流した男 カンバスの向こう側の空は晴れ渡り 窓の外の空もまた良く晴れている


  窓の外から男が何かを問い掛けてくる 確かに男はF6号のカンバスに閉じ込められた男に何かを問い掛けた 愛とは 夢とは 希望とは そして絶望とは そんな事を問い掛けているように思え 描きかけの自画像をイーゼルに乗せたまま 木炭の囁きに導かれるようにして 男はカンバスに描かれた深い森の奥へと消えた
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