尾崎喜八「山の絵本」を読む/渡邉建志
 
えばなによりも、美しい少女である。例えば村上春樹「ノルウェイの森」の、山の上の牧場の「京都弁」の女の子は明らかに萌えキャラである。都会の情報に汚されない、素朴できよらかな娘というのが山には存在するのであり、また存在すべきなのである。

朝である。
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 私は顔を洗いに行く。
 母屋のはずれ、路に沿って石垣を積んだところに、山から引いた水が音を立てて落ちている。清冽な、手も切れるように冷めたい水だ。その水をうける古い樽の中には、今朝私たちの膳に供えるつもりだろうか、一束の蕨が漬けてある。澄みきった水の底で、その色が美しかった。
 顔を洗っているとこの家の娘が水を汲みに来た。私を見て
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