人としての生き方/奥津強
 
 理論は、陳腐なものだ。まれに文章を書いている時、そう思う。
「本物の親友に言葉はいらない」と友部正人が語ったというが、実際、触れ合う事によって、人は触発されていく、そんな気がする。
 10の読書より、更生した元ヤンの方が、はるかに物事を語れるのではないかと思うのだが、それは異論の別れる所であろう。だが、実践という意味で、私は後者を取る。
 両方は合わないような気がしてならない。知識と行動を同一にとるには、相当の感情の高尚さ、とでもいうべきものが必要なのではないのか、と思う。

 さて、理論は〜と語ったが、感情が全てをつかさどるのであり、感情が、そもそもの人の起源である。感情同士の触れ合
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