セカチューのリアル<村上春樹/セカチュー/となり町戦争>とランボーの埋葬:切り貼り/がらんどう
 
を自分の中から連れ出して別の生に誘いこむということ」
(J・M・クッツェー 『エリザベス・コステロ』より)

いかにリアルに絡め取られずに、嘘をつき通せるか、それが重要なのだ。
たとえば、文学の中に「作者のリアルな声」を読み取り評価する向きがあるが、とりわけ荒々しい未熟さに狂気を読み取るような、「ランボー病」「呪われた詩人病」とでもいうものがある。
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「そして先人に倣って自らも「呪われた詩人」になることを夢見る。しかし、差し当たってリセに通う平々凡々たる生徒に過ぎない私は、呪いなどとは全く無縁で、常日頃、救いようのない自分の凡庸さを意識すると同時に、不満を漏らす権利は自分には
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