「マザーグースのうた」から/まどろむ海月
 
を気にしなくなった
のは、いつの時代からなのだろう。いや問題の恐ろしい本質は、時代
を越えて、かけがえのない他者の生命を犠牲にしてはじめて成り立つ
われわれの生の本質に至るのかもしれない。宮澤賢治の『よだかの星』
の中で、夜鷹は数知れぬ羽虫を飲み込みながら、その罪深さに涙を流
す。「神様……」………。

 「神が存在しなかったら、人間は神を発明したであろう。」と言っ
たのはドストエフスキ−だったろうか。神の親である偉大な存在は、
あるいは人間かもしれない。我々の知覚の中にはじめて月が存在する
ように、我々の思いやりの心と生の悲しみの中に、はじめて神は存在
するのかもしれない。仏教で言う「あまねく世界に偏在する仏性」の
『慈悲』も、案外そんな意味であったように思う。






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