霧の様な死あるいはナルシシズムについて/立原道造を読む/渡邉建志
おかう?
}
この、はじめての薔薇が ひらくやうに という比ゆがたまらんです。彼がよくつかう一文字スペースが、独得の漂う感じを出しているような気がします。
■同詩集より 八 午後に(全文)
さびしい足拍子を踏んで
山羊は しづかに 草を 食べてゐる
あの緑の食物は 私らのそれにまして
どんなにか 美しい食事だらう!
私の飢ゑは しかし あれに
たどりつくことは出来ない
私の心は もつとさびしく ふるへてゐる
私のおかした あやまちと いつはりのために
おだやかな獣の瞳に うつつた
空の色を 見るがいい!
〈私には 何が ある?
〈私には 何が ある?
ああ さびしい足拍子を踏んで
山羊は しづかに 草を 食べてゐる
これが一番好きです。一聯目の、さびしい足拍子を踏んで草を食む山羊の姿といったら!さびしい足拍子、ですよ。そして瞳には空・・・ちょっと倒れそうになりました。のぼせたのかもしれないけれど。
[グループ]
戻る 編 削 Point(13)