入沢康夫(「現在詩」の始まり)/岡部淳太郎
 
う。近年になって私的な要素が詩の中に入りこんできていることを考えても、この詩人はおそらく頭脳と感覚の狭間に立つ詩人なのではないだろうか。入沢康夫が第一詩集『倖せ それとも不倖せ』を発刊した五〇年代は、一方で「感受性の祝祭」と呼ばれた大岡信や谷川俊太郎などの詩人が登場してきた時代でもある。それを思うと、デビュー時の入沢康夫はさぞかし異端に見えたことであろうと想像される。だが、六〇年代、七〇年代と時代が下るにつれ、入沢康夫が提示した方法論(実作とともに、詩論集『詩の構造についての覚え書』などが有名だが)は現代詩の世界では一般的な手法になってゆく(それとともに一般の人々が次第に詩を読むことから離れてゆくのだが、それはまた別の話である)。そういう意味では、入沢康夫は現在書かれている詩の礎を築いた「現在詩」の始まりに位置する詩人なのではないだろうか。



戻る   Point(10)