いじめー補遺/石川和広
いうのは、安直な意味を持つことも多々あり、適切に事柄を記述しないこともあり、古島さんの言うように「援助交際」は、罪悪感を軽減してしまいます。
しかし、いじめを受けたものとしては、あの経験は虐待、暴力を含んだもっと、複雑な心理と現実の総体であって、そのニュアンスは今のところ「いじめ」と呼ぶしかないもの、他にもっとしっくり来る言葉があれば、いいのですが、、
要は、その最中にあるものにとっては、言葉の問題よりも、何か理不尽さと呼ぶしかないものがあるのです。
それを「悪にさらされている時の無力感」と呼んでもいいでしょう。
さて、ここまで書いてみました。古島さんの示唆は、いくつかの点で興味深かったです。いじめを別の呼び名で呼ぶ、本来、暴力という言葉にもどすというところは、そのいじめという悪が暴力であるというところ、にふと立ち戻らせることが出来て少し、自分の頑なさがほぐれました。
ただ、暴力も人間関係の形です。許されないけど、そうです。そこを解かなければ今の形のような個がバラバラになった中での暴力の形を考えられないと思います。
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