つれづれ4/いとう
 
の愚痴(のようなもの?)を相手に押し付けることはできない。
それは自己内包を伴う。
ちなみに私はひとつの基準は別の基準を排斥するものではないと思っている。
基準とは自己を維持するためにあるもの、
つまり「私はあなたではない」ことを認識するための手段であって、
それは排斥とはまた別のものだ。
排斥とは「私ではないあなたはいらない」と表明することだ。
「私ではないあなたがいる」ことを認める最初の一歩がダブルスタンダードであり、
相手のスタンダードが不快なら、見なければいいだけだ。
相手が(さまざまな意味での)関係性を求めてこない限り。

俺自身は少なくとも、意識的にだろうと無意識的にだろうと、
他者を不快にさせるような口調を用いる人とは
なるべくコミュニケーションを取りたくないと思っている。
(でもそれはもちろん排斥ではない)
と、自分のスタンダードを表明しておしまい。

こんな愚痴だらけの文章たちにつきあっていただいてありがとうございます。




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