「天使喰らい」の可能性について/がらんどう
薩の顕現が表現されているのである。ここにおいて「父」とは如来であり、それは弥勒にとって約束された未来である。それは同時に、弥勒を生み出す「父」であるという意味で、弥勒にとって自身の過去である。「父」が同時に「子」であるという関係の内側にあることで、未来は同時に過去であり、現在という移動し続ける一点においてのみ、「父」と「子」の同一性は停止され続ける─繰り延べられる。
その停止に、我々は「天使喰らい」の可能性を見出す。私は今「可能性」という言葉を用いたが、「天使喰らい」はまさしくその「可能性」の内側に潜む。「天使喰らい」においては、約束された未来も参照されるべき過去もなく、すべては移動する現在
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