米原駅ノート/渡邉建志
、とくにおしゃべりが上手なわけではない。
むしろ苦手なほうかもしれない。
そしてぼくが好きだったのは、そうやって書いた自分の考えを、
ほかの人に楽しんで読んでもらいたいという気持ちだった。
(班ノート、というのが回っていて、それはそれは楽しかったのだ。)
しつこいぐらいに文章をひねり倒した。
文章としてエンターテインメントでありたい、と思っていた。
そうして、ほめてほしい人たちに、面白いね、とほめられるのが、とても好きだった。
それとはまた別に、詩とは、考えの断片のことだった。
それを水に溶かせば、ひとつの思想が広がっていくような、スープのもとだった。
詩ではないのかも知れなかった。ぼくはむしろ無音律俳句や短歌を書きたかったのかもしれない。
アイディアを乗せたかった。アイディアを乗せる船、それが詩だった。
それは形式ではなかった。それはアイディアそのものだったのだ。
でも詩は形式が必要なようである。そこが私にはどうしても水が合わなったし、
いまでもそれがどうしても合わない。
(以下空白 たぶん寝たんだろう)
2004/8/27
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