空を飛ぶために捨てなければならないもの/いとう
 
こに「詩」がある。


飛ぶという身体感覚を得るために排除すべきものは、
皮肉なことに、身体そのものだったりする。
人は飛べない。身体を持つ限り、飛ぶことができない。
それは夢なのだ。夢の中だけで飛べるのだ。
「この飛行者には」から始まる連では、
作品の構成として様々な変化が起きている。
表記のうえでは片仮名が消え、
人称が一人称から三人称へ変わる。
そして、これらの変化は
「飛行者」の失ったものの記述という、内容の変化に内包される。
この飛行者は、飛ぶために多くのものを捨てた。あるいは捨てざるを得なかった。
そして捨てたからこそ、飛んでいるのだ。

飛行者には何もない。自分自身の身体もない。
文字どおり、「僕の亡き」その身体は、
「石」のように哀しく、
遥か下方の「地上」に「ちいさな地蔵と影」となって表れている。
自身を示す物が捨てさられ、他者との関係も消え、宿命すらもなく、
そらをとぶ、ゆめだけがのこり、そして、ゆく(逝く)のだ。



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