虫への恋文/佐々宝砂
 
壊れかけたラジオが
なぜだか中国語の放送だけを受信する
意味はまるでわからないが
聞き覚えのある声だ

演説口調に冒されて
空間は異次元的に歪んでゆき
西壁はすっかり半透明の灰色の寒天になり
監禁されていた虫が這い出してくる

この虫は馴染みだが
擬人化された存在ではない
毛むくじゃらの脚は六本あり
うち前肢二本は鋏のかたちをしている
尾には尖った毒針のようなものがあるが
これは擬態に過ぎず実際には無毒だ

虫はしゃりしゃりと前髪を食う
舌がちらちらと目の前をよぎる

すばらしく赤い舌だ

本当の君はきっと
魔法をかけられた吟遊詩人かもしれないと
一瞬夢想してはみるが
虫はあくまで虫らしく虫にしか見えず
ごく短い役立たない羽根をぎちぎち鳴らす

ラジオの演説が不意に終わる
女性アナウンサーが
やわらかな口調で喋りだす

空間は数学的に正常化し
西壁には当たり前の白い壁紙が戻り
虫はまたいましめられ

ラジオが音楽を流しはじめる

少年少女合唱団の
むやみに爽やかな歌声だ
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