「日本文学盛衰史」書評/佐々宝砂
行分け詩のような体裁になっていたりする部分がある。数多くの文体を駆使し、雰囲気もバラバラ、形式も体裁もバラバラ、小説と評論の垣根も超えてしまって、さらには谷川俊太郎・穂村弘・藤原龍一郎などの詩を作中に引用し、しかし、全体的にはまごうことなき「高橋源一郎」印が色濃く押されている。
クライマックスは、死の羅列だ。羅列でなければリレー。登場人物たちは、これでもかこれでもかと死んでゆく。文学者の死ではじまった物語は、文学者の死で締めくくられるしかないのだろうか。いや、違う。物語は産声で締めくくられる。しかし、その産声は悲鳴なのだ。まだ生きている作者の、私の、そしてあなたの悲鳴でもあるのだ。
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