遊覧者/人形使い
 
の主催者の趣向による新たなる隣人達であるのか
判然としなかったが
どちらでもいい
そう思えるのだった

むしろまったくこの世界は過ごしやすいといってよい
住人達の表現は「顔」というやつばらの機能を損なわず
よほど具合よく個性なのであり
少なくとも立体感を喪失した彼らは
嫌な私自身を映し出す機能を喪失したわけである

私は気を取り直し
実に愉快なこの画廊のただひとりの遊覧者となって
永遠にも思える退屈しのぎに
ぬれた布を引きずった跡を残しながら
(すなわち僅かな模倣子を蒔いて)
どこまでも歩いてゆこうと決めた



―後記

私にとって
これら一連の出来事は
人生における変化の流れの一部と言う程度の意味でしかなく
重大な変節ではありえない
全ての選択肢における最善の選択
シンプルな思想による最効率的な生き方


*物理現象としての顔。心理が絵画と対応している。
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