詩が生まれる瞬間/電子ノ猫人
詩というのは考えればホイホイ出るようなものではない。
考えてホイホイ出たものはどうしても無味無臭的な作品になってしまう。
ではどうやって生まれてくるか、それは日常常日頃から生まれてくる。
たとえば、日端で老人が迷っているのを見ると「助けてやりたいなぁ」と思ってくる。
そして、助けたあと喜ばれると「何か良い事したなぁ」と感じる。
ぶっきらぼうな例えだけどこんな感じで詩というのは生まれる。
悩まず、焦らず、ただ自然に身を置くだけでも詩というのは泉のごとく沸いてくる。
爽やかな詩は爽快感を、幻想的な詩は感傷深く感じる。
では、俺の詩はどうか。
悩み、苦しんだ挙句生まれた詩は苦悩に満ち、見るものによっては嫌悪感を催すものかもしれない。
苦痛なる詩
それは此の世に生まれていいものだろうか。
その答えは未だに見当たらない。
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