誤読/後期
 
が書いた?

 書いた当時の私は、今の私にとって他人である。
 私は自分を誤読する。

 つまり作者とは、最初の読者にすぎない。

 ある日、批評家が断言した。
「この作品の主題は“誤読の暴力性”だ。」

 私は驚いた。そんなことは考えていなかった。
 だが考えてみると、確かにそう読める。

 私はうなずいた。

「その通りです。」

 嘘ではない。
 書いた瞬間に意図は崩壊する。
 文章は作者の手を離れ、読者の脳で変形する。

 誤読とは、作品が生きている証拠である。

 ただし。

 本当に恐ろしいのは、誰にも誤読されないことだ。

 完全に理解される文章。
 完全に意図通りに受信される言葉。

 それは通信であって文学ではない。

 私は今日も書く。

 あなたが私を誤読することを期待しながら。

 そしてあなたがこの小説を
 「誤読を肯定する物語」だと読むなら、
 それはたぶん――

 正しい誤読である。

そう書いたのは、たしかフランス辺りの誰かだ。





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