『越境の衝動』 第一章/越境の衝動/板谷みきょう
 
鬼と呼ばれる前、
吉は境を知らなかった。

山と村の間に引かれた線は、
土にも風にも刻まれていない。

それでも夜になると、
体の奥がざわついた。

行ってはいけないと
教えられた方へ、足が向く。

理由はなかった。

呼ばれたわけでも、
追われたわけでもない。

ただ、向こう側に
自分が欠けている気がした。

境の札に触れた指先は、
驚くほど温かかった。

痛みではない。

懐かしさでもない。

越えた瞬間、
何かが終わったのではなく、
戻れない速さで始まったのだと、
後で知る。
[グループ]
戻る   Point(0)