三木卓『わが青春の詩人たち』書評/佐々宝砂
る詩はなんなのよ? と私は考える。衰退した現代詩の世界に、それでもおずおずと参入しようとしているネット詩人でしかない私、あるいは私よりもっと若いネット詩人たち、まだなにごともなしているとは言えない私たち、しかし、ネット詩に青春があるとするなら、それは紛れもなく、今だ。青春とは激動の時代である。私は生き残れるだろうか。正直に言えば、ここで生き抜く自信が私にはない。私は過渡期に生きて消えてゆく泡だ。いずれ誰かが『わが青春のネット詩人たち』を書くとしても、それを書くのは私ではない。そしてその本は、三木卓の著書のようには人間くさくなく、優しくもないものになるだろう。ネットでは、人の姿が見えないものだから。
それでも、それでも詩の背後には常に人間がいる。次世代を担うのであろう十代のネット詩人たちの詩を読みながら、私はそう考えるのである。
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