健全という幻想と病いとしての夢物語/百(ももと読みます)
 
は教会へゆき、こころを洗って、奇麗な手でおにぎりを握るようなこと、数年かけてもする必要があります。

 実家を飛びだし、アパートメントを契約できたことをはじまりとして誰も責められるわけもない。ぼくは多くのあやまちをおかしました。怠惰という大罪です。

 就労までの道のりのなかで昂るものを覚えなければなりません。資本主義の底辺で体たらくを装って、いいわけするのは懲り懲りです。

 ぼくにもできるというわけを教えてくれる社会としての資本主義。



 甘い土壌に生まれたものです。甘い気持ちで生きてゆくこと、そればかりを続けては、いつか、ぼくの身体はチョコレートみたいに溶けてしまうことでしょう。

 跡形もなくとはゆきません。それも誰かの働きで、なす術もない自身のなきがらまで粗末にするようではなりません。

 人生初の荒波なんて、サーフィンするほど楽しいものではないのです。それゆえに、ひとの波をかきわけて、夜になるまで働いて、お家でほうっと過ごすのです。

 ぼくも価値のある人間です。倖せになっていいのだと、本日、ようやく理解した次第です。
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