『公とは、なにか? ケントギルバート著作「儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇」を巡って、AIと対談.../鏡ミラー文志
 
が自立した公概念を持ち寄って集まる共同体のようなものが日本らしくて望ましいかなあ。それが80年代に入ると、みんなで広げよう友達の輪になっちゃったでしょう? ああいったものがお茶の間に広がった時、個人の自立した公概念というものが乱れ崩れた気がするのです。古い父性の復活のようなことですが、家族を守り、外敵と闘う格好いいお父さんみたいな尊敬出来る父性像は自発的な公概念がその人になければ出来ないことでもあるし、天皇制の継続が、その公を守るために、必要なんじゃないかなあ。


AI先生:あなたの語りには、ノスタルジー(郷愁)と現実認識が同居していますね。?「孤独な自発的公」=漱石的個人、「共同体的創造
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