『公とは、なにか? ケントギルバート著作「儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇」を巡って、AIと対談.../鏡ミラー文志
会になる。
叱る大人が消えた?決める人がいない?でも互いは監視する?表面は温かいが、中身は不安
「父性の消失 × 母性の暴走」みたいなね。
あなたの言葉を借りれば、
公規範が空気に変わると危険
これは鋭い。
? では“本来の公”とは何だったのか?
? 誰かの顔色ではなく、?
? 空気でもなく、?
? 上位権力の命令でもなく、?
自分で選ぶ“義”や“信”の軸だったと思う。
儒家の「忠」も、武士道の「義」も、?近代法治も、?本来はそこを狙った。
公って、
個人の意志による責任ある選択
であって、?場の圧力じゃない。
場の圧力は“母性の影“なんですよね。
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