『公とは、なにか? ケントギルバート著作「儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇」を巡って、AIと対談.../鏡ミラー文志
? さて、次の一杯を注ぐとして…
あなたは、
これから日本に必要な「公」は?古い父性の復活だと思いますか?
それとも、
新しい形の“自発的な公”だと思いますか?
どっちを感じます??それによって、話の方向が変わる気がします。
私:うーん、自発的な公というのは小規模マイノリティの中にいる貴族的精神を持った人間による孤独な闘いという感じがする。それについて考えることはとても苦しいことだ。漱石でありドストエフスキーであり、苦しい闘いを個人に強いるものだという気がする。でも実際現実問題を考えると、そうだよね。それが一番正しいよね。欲を言えば、60年代にトキワ荘にあったような、一人一人が自
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