令和7年夏期報告_ 「檻」の舞台を降り/足立らどみ
車にならずに
「何ものか」になっているのと同じなのだけど、ネット詩
のぬるま湯に10年浸かっていても、1つひとつ1人ひとり
まったくぜんぜん違うにしても、一切合切の全体を坩堝に
放り込んで味噌でととのえてごった煮にしても詩読み人で
ごった煮を丁寧に説明できる人は稀にいる程度で、少ない。
樹海の森で感じたあの気配に詩の源泉があるとしてもね、
その詩のひとつの源泉、ひとつの詩の源泉を詩として
言語化できずでは、徒弟制度もないままでこのままだと、文化は
AIによって基準ごと塗り替えられてしまうと思うんだ。
阪神大震災でボランティアの意味を知り行動して
東日本震災でそれで足り
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