全行引用による自伝詩 01/田中宏輔2
そこに在る〉ということである。
(サルトル『嘔吐』白井浩司訳)
禅の庭は、断片だけ書きこまれた詩にたとえられる。空白を埋められるかどうかは、読み手の明敏さにかかっている。詩人の役目は自分のために閃きを得ることではなく、読み手の心にそれを呼び起こすことだ。禅の庭を作った人はそのことを知っている。庭を愛でる人々の間で、時としてまるで相反した見方が生ずるように見えるのはそのためだ。
(ミシェル・トゥルニエ『メテオール(気象)』第十八章、榊原晃三・南條郁子訳)
何という表現形式であろうか! どうして今まで誰もこの表現形式の秘密に気づかなかったのだろう?
(ジョン・クロウリー『リトル、
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