問わず語り(5)/降墨睨白島(furusumi geihakutou)
詩を書くにあたって何のために書くかということは色々な部分で詩作品を左右すると思う。
そもそも、誰かに何かを訴えたいとか、読み手ありきでの詩作とそうでない詩作に分けることが出来ると考える。
前者の代表的なものは商業ベースに乗るもの、または歌詞(広い意味で詩とするならば)があり、後者は芸術・文学作品としての詩ではないだろうか。
私は常に詩を書く際には読み手をあまり考えない。一方的な自己表現、または一方的な美的表現やその他もろもろの一方的な表現が芸術であり、芸術としての詩であると思っている。なので、誰かが読んでこうしたほうがいいと言われたり、この作品は何とか的ですねと言われても全く
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