pumping capacity/ホロウ・シカエルボク
 
に限らずあらゆる自己表現の為の文章というのは、肉体のリズムをそこに映し出すということだ、全身を流れる電流の電圧と速度を文章にするということなんだ、それによって誰かが俺の鼓動を知り、体温を知るんだ、身体が無駄なものに包まれてそれが鈍ると、おそらく俺は何も書けなくなってしまう、つまりそれも含めて、俺の書き方だということだ、だからこそ例えば、ほんの少し世界に余計なものが紛れ込んだときなんかに気を取られたりするわけさ、俺は自分を鏡に映す、腹回りはまだ気に入らないけれど他はまずまず良く出来ている、少し休んで身体を落ち着かせたら、今日の内に書けるものを書いてしまおう。

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