俺も有名になりてー/おまる
したのがAKB48を頂点とするアイドル/オタク文化だった。
そんな時勢への抵抗として追いかけていたのが局地的ながら
堅牢な視聴圏を形成していたKANDYTOWN周辺である。ただその
きっかけはベースボールベアーとの共演で名前を知ったRyohu
で、つまり、筆者はひたすらにミーハーなのである。
「おすすめ」アルゴリズム頼みでヒップホップを語ろうという
暴挙、なにをどう語ろうとも天下の奇観を呈するのはもとより
覚悟の上であることをご承知頂きたい。
フレシノにしても昨年末、駅伝中継のチューブ広告で偶然耳にし
慌ててdigりなおした程度である。ゆえに、彼の創作をポップ史
の大きな潮流へ位置づけるには筆者の蓄積はあまりに心許ない。
試みたところで、素人めいたコメントに終始するのが関の山だ。
けだし邦楽の輸入文化には常に独特の振り子の揺り戻しがあり、
その時節の旬を、そしてマイルストーンをどう捉えるのか?
ここから先が次なる考察の出発点となるだろう。
(以下、加筆予定)
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