歌でしか語れなかった──建礼門院右京大夫の運命の構造/大町綾音
 
 建礼門院右京大夫という存在を、ただ一人の和歌の作者として捉えるとき、そこに浮かび上がってくるのは、恋と追憶を主題にした抒情の匠である。しかし、その背後には明確な「語れなさ」があり、そういうことでしか、自分を保存できなかった──そう考えるとき、右京大夫の家集は、ひとりの女性が“記録としての存在”へと転位していく過程そのものだと言える。

 彼女は、平安末期から鎌倉初期という激動の時代を生きた。平家の最盛期、その姫・平徳子に仕えた宮中女房であり、多くの貴公子や歌人との交わりを持った人物だった。恋人とされる平資盛は平重盛の子で、彼女にとっては恋というより“世界の象徴”でもあった。資盛は壇ノ浦で入水
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