ヤカンによるラカンのハルキ/室町 礼
ムの信者のように心の底から
ラカンを信じていたのでしょう。
(わたしはラカンより自分の洞察を信じてほしい
と願うのですが、どうしてか日本人は自分の洞察
を他人に委ねたがる。ラカンが「不在」という概
念を提出したときどうして「不在」=「実在」で
あるというあたりまえの日常に気がつかないのか?
だってファルスの励起があるためにはその前にフ
ァルスの弛緩がなければならない。つまり一見、
別々な現象をみせるけど、その現象は二つで一体
のものなんです。あらゆるものがそうです。欠如
というけど欠如は充足がなければ欠如もない。人
間は欠如だけの存在でもなければ充足だけの存在
でもないの
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