「ピーパリ」を食べる/室町 礼
 
茂の自伝を読みながら浜崎は手が震え
てきてゾッとするというのですが、
わたしがゾッとしたのはこの快・不快への
アンテナしかない昆虫のような石破が即ち
わたしでもあるということ、もっというと
今の日本人の"昆虫性"そのものであるとい
うことですね。
批評とか評論というのは一種の講談ですか
ら物語ですから面白いのは面白いですけど、
必ずしも真実でも事実でも「ほんとう」で
もない。いかにも真実や「ほんとう」のよ
うに感じられたら得かもしれないけど、信
じ込んでしまうと損かもしれない。これは
構造主義思想もマルクスも現代文芸批評理
論もぜんぶそうだと思うんで
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