ナレーション魂。ナレーション熱/鏡文志
してそれがウケると、皆が真似し出す。大量にばら撒かれると、それがまた新たなテレビ的な遊びになる。
しかし多くの大衆は語り手としてのタモリであり、たけしをそれほど好み、理解出来ていたか?
彼らに大衆が求めていたのは、ちゃんちゃらおかしいよであり、お笑いであり、理屈や思想ではなかったと思う。
現代における北朝鮮的とも言えるニュース番組独占の時代は、受け手が語り手を求める成熟を遂げることが出来なかった堕落を表しているのであり、優秀な語り手がたけしタモリ以降ほとんど育たなかったことを表しているとも言えるのである。
松本人志にはその力があったかも知れない。太田光にも。彼らの語りや表現には
[次のページ]
戻る 編 削 Point(5)