ナレーション魂。ナレーション熱/鏡文志
 
人は、ナレーションによって世界を正しく認識しようとするものである。
例えば目の前に石があり、草が生えていて、それは今どこにいるのかということを認識しようとする時、無意識の中でナレーションが働いている可能性がある。私はここで生まれて、こんな人生を歩んで今ここにいる。その物語が残像のように記憶として残っていて、状況を把握する。どう動けばいいか? そう言った瞬間的対処としての蓄積だけだと猿やロボットのようだけれど、そういう自分の持っている物語をきちんと整理して生きるよう努力してこなかった人も沢山いることを私は知っている。そういう人は皆従うことによって、生き延びることが出来る。従う人がなにに従うか? 従
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