砂の城の考察 #1/まーつん
成した形の一つに過ぎないのかもしれない。
もしもすべての言葉が、それを話す者の心を模した不完全なイミテーションだとしたら、全ての話者はうそつきだ、ということになる。乱暴な言い方にはなるけれど。だがそれは、話し手が不誠実なのではなく、ただただ、言葉というメディアの持つ不完全さと、心という存在が持つ不確かさに起因している。言葉が指なら、心は、そしてそこから生まれる想い、思考や概念は、形を保てない砂の集まりに等しい。星やハートの形をした塊を救い上げようとすると、さらさらと指の間を零れ落ちていく砂。
ならば、話者はある想い、概念や思考の創造者であると同時に、贋作者でもある。「真作」は、あくまでも話者の心の中にあり、「贋作」は言葉に変換され、原稿や本のような物体に刻まれた文字の連なりとして、外部に発せらた状態を指す。さらに、一つの言葉やセンテンスを巡っても、受け止める側の人間それぞれで、その解釈に微妙なずれがあるとすれば、ある情報を、その形を変えずに誰かの記憶に転写することなど不可能だということになる
戻る 編 削 Point(1)