公とは、国文学とは? なんのためにあるか?/鏡文志
 
の内容に目を通しもしない。だがしかし、この台本内容を見ればこれを公の場で問われて両親が困るのは明白である。

両親は最後まで嘘を通し続けた重犯罪者だ。
公はお遊びではない。公は女のオメコと一緒だ。国の生命線なのだ。これが崩れれば子供が産まれなくなる。国文学に携わる意思を持った人間として最後まで私は筋を通し続け、そして最後に悪になった後、私が自らの正義によって公に罰されようとそれは名誉なことである。私を断罪せよ、私を死刑に処せよ、テレビカメラの中でそれをやるのだ。


裁判初日台本案
Q.私は、父隆充子が、国から障害者の自立のため という名目で、給付されている障害者年金からお よそ9割
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