金に釣られて/鏡文志
 

どうして時間の経過とともに新しい扉が開くのを待ち続け、いざ時がくればこれまで何事もなかったかのように、すべてを捨て去ることが出来るのだろう?
どうして心の中がよく見えない人達がいて、その人達が風のように放ち忘れていく言動の数々で世界は溢れ、そのようなシステムになっているのだろう?
どうして充分な発散と解消の機会を得られぬまま若い身体と心を保ち、年寄りや病者と共に過ごすことを余儀なくされなければならないのだろう?
いつどうして、私がこれらの疑問や苦悩から逃れられることがあっただろう?
だがしかし、それらに耐え尚健全に物事を見渡せる私がいる。それは、どうしてだろう?
その答えは腰のおかげ
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