IN THE DEAD OF NIGHT。──闇の詩学/余白論─序章─/田中宏輔
よってフルートを奏している。」(『晦渋性を駁す』鈴木道彦訳)といった言葉が思い起こされる。余白は、また、記憶だけではなく、読み手がいま現に見ているもの、聞いているもの、触れているものなどにも作用するのである。作用があれば、当然、反作用もある。読み手の記憶や感覚器官が知るところのものによって、この沈黙ともいうべき空白も、影響を受ける。余白が大きければ大きいほど、読み手の心象が揺さぶられ、印象の充溢さを増す、といったことはないのだが、余白の効果は絶大である。「主観的な余白が重要なのだ。」(ミシェル・ジュリ『不安定な時間』鈴木 晶訳)。したがって、凡庸な作品でも、余白の視覚的な効果を十分に配慮すれば、読
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